● 10周年記念シンポジウム  

 当院は、1995.5月に、開業しました。そして、10年後の2005年に、「うめした内科10周年記念シンポジウム」を、福岡市天神のアクロスビルで開催致しました。当日は、300名近い方々にお集まりいただけました。

 また、TL医療研究会から4名の先生においでいただきました。そして、シンポジウムを持っていただき、そこで、TL医療の真髄をお語りいただけました。

 右の写真は、その時のスナップです。
 うつむき加減の写真ですが、この写真しか残っていませんでした。
 次の記事、「TL人間学実践クリニック」には、普通の写真が出ています。
 
 以下、その時の、私の「ご挨拶」です。
 今こうして改めて当時の文を読んでみると、「当日は、私の『志表明』の場でもあったのだな。」という感慨です。2011.06.22.

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 こんにちは。
 ようこそ、お忙しい中、連休中にも関わらずお出で頂き、誠にありがとうございます。
 連休中に、大きな地震が再び福岡のこの地を襲うと言う、噂もありましたが、何ごともなく、皆様も一安心というところでしょうか。

 うめした内科は、平成7年5月8日の開院当初より「地域の皆様に本当に健やかに、喜び溢れた毎日を過ごしていただきたい。そのために微力でも皆様の心身への支援をさせていただきたい。」と願い、今日まで10年間歩んで参りました。
 多くの皆様に本当に支え続けていただいての、この10年の歩みであったと深く感謝申し上げます。そして、「ささやかながらそのことへのお返しをしたい。」との願いから、このような記念シンポジウムの場を持たせていただきました。

 <10年前1995、開業の頃>

 開業の前年平成6年に開業を決心致しました。そして、その年の春より準備を始めました。地下鉄沿線沿い、西鉄福岡駅から太宰府にかけての沿線沿いの土地を、くまなく探しました。熱い夏の日、一日中歩き回り、夜遅く汗だくで帰宅した時、下着を絞ると、本当に、汗で水たまりが出来ました。今になると懐かしい想い出の一つです。
 今では都市高速道路から、クリニックの辺りを見ますと、まるでタケノコはやしのように、マンションが林立していますが、開業当初は今のように、マンションは沢山ありませんでした。また、九州女子高とふくふくプラザの大通りもなく、そこは小さな小道でした。
 また、当初はクリニックも今とは違い、もっと狭い作りでした。今、診察しています、診察室は駐車場で、元々はありませんでした。5年ぶりに来られる患者さんは診察室の場所がマル反対になりましたので、びっくりされます。

 <「梅下は、あんなに医者を嫌っていたのに、どうして今更、開業するのか。」>

 10年前、「小さくても本物の医療実践を。」と志しての開業でした。
 私が中学2年の時の、「密林の聖者シュバイツアー博士亡くなる。」という新聞の大々的な号外の記事を今でもハッキリと思い出せます。シュバイツアー博士とはクラブベクもありませんが、私も、シュバイツアー博士が、アフリカ大陸という暗黒大陸に光をともされたように、病いの痛みという暗黒大陸に光をともしたいと志しての事でした。

 開業の前年準備を始めた頃、同級生の天神のO内科のO先生に、相談に行ったのですが、その時、O先生にびっくりされました。そして、開口一番、「梅下は、あんなに医者を嫌っていたのに、どうして今更、開業するのか。」と聞かれました。

 <私は昭和25年鹿児島市に、男だけ4人兄弟の長男として生まれました。>

 私は昭和25年鹿児島市に、男だけ4人兄弟の長男として生まれました。
 父は陸軍の中尉までなった人間で、その後高校の校長までなりました。
 小さい頃、「青葉繁れる〜」という軍歌を聞かされて寝かされました。家には軍隊時代の軍刀が床の間に飾ってありました。許可を貰っていませんでしたので、「銃刀法違反ではないのか、・・。」と、兄弟で心配していました。
 その軍刀には銃弾の跡がありました。父が突撃して、大腿部を機関銃で打ち抜かれた時、その軍刀にもついたモノでした。
 父はいつもその時の凄まじい話を、誇らし気に私たち兄弟4人に聞かせました。また、戦争の悲惨も教えてくれました。
 父は学校では今で言う熱血教師でした。私たち兄弟4人は父の居る高校に入らされました。勉強に関しては、スパルタ教育でした。正座したまま何時間も説教され、足が痺れて立てない事もありました。父に対して従順だった私は、受験戦争という戦いの中で、何も考えずに突撃して行きました。
 しかし、私は小学校低学年の時はどちらかというと、余り勉強は好きではありませんでした。当時は、紙芝居のおじさんが子供を公園に集めて、御菓子をうっていました。私は勉強はそっちのけで、日が暮れるまで紙芝居についてまわり、賢い弟が、夕飯だと呼びに来る毎日でした。また、私は弟の教科書で勉強し、弟は私の教科書で勉強すると言う有り様でした。
 しかし、怒ると恐い父のスパルタ教育の突撃命令のままにまっしぐらに勉強し、年々成績は伸びて行きました。そして、一浪して九州大学の医学部に合格しました。

 <高校時代の、好きな言葉は、「虚無」という言葉でした。>

 しかし、順調な成績とは逆に、心のなかにポッカリと空洞が空くのが自分でもハッキリと分かりました。高校時代の、好きな言葉は、「虚無」という言葉でした。また、大学に合格しての素直な感想は、「虚しい。」のひと事でした。
 合格当時は、大学は70年安保の内乱状態ででした。丁度前年の69年には九大の電算機(今で言う大型コンピューター)センターにアメリカ軍のファントムジェット戦闘機が墜落していましたので、大学は騒然としていました。当時のベトナム戦争にも関心がありましたので、私の心は、「ベトナム戦争は悲惨だ。どうにかしたい。でも、それには暴力革命しかないのか。それも、おかしい。ついていけない。でも、どうしたら良いのか。」と、揺れ動きました。
 そして、シュバイツアー博士のように博愛の精神で生きたいと目ざした医学の道にまったく夢を持てなくなりました。そればかりでなく、憎しみに近い感情さえ抱くようになりました。自分が将来医者になる姿を思い浮かべるだけで、暗澹たる気持ちになりました。そして、「一人が楽。」、「人間関係は煩わしい。」、「すべて順調に来たが虚しい。」という孤独癖は益々ひどくなりました。

 家族と一緒に居ても同じで、夜ふと家を抜け出し近くの公園の子供の遊び用の土管で、寝転がって夜空を一人眺めたりして、弟達が心配して探しに来ることもありました。また、そこにおられるK先生御存じのように、大学から姿を消し、授業に出なくなりました。

 そんな私でしたから、相談に行った時に、びっくりされた訳です。それで開口一番、「あんなに医者を嫌っていたのに、どうして開業するのか。」と聞かれた訳です。

 <どうして、そんなに急転換したのかと言いますと、・・。>

 どうして、そんなに急転換したのかと言いますと、それは、TL医療に出会い、TL人間学に出会ったからです。TL人間学を提唱される高橋佳子氏に出会い、自分の心魂のからくりが分かり、孤独地獄から救われ、希望と絆を信じれるようになったからでした。そしてその後、TL人間学を医療実践しようという志を持った、TL医療の仲間に出会いました。そしてこのTL医療の仲間と共に、医療を生業として、患者さんの病の痛みに、私の出来ることを何とかして差し上げたいと言う気持ちが引き出されたのでした。

 それまで私は医者とか、権力的的なもの対してモーレツに反発を覚えて来たのですが、それは結局父に対する反発でした。表面上は従順に、受験戦争で突撃をくり返し乍らも、こころの奥底で反発していました。それは、私の母の影響でした。私の母は、男女差別の強い鹿児島で、しかも戦争直後のまだまだ旧来の因習陋習の強い時代の鹿児島で、嫁姑の葛藤で苦しんだのですが、武家の妻よろしく、表面上はそのような葛藤は見せず、良き妻、良き母親を演じていました。TL人間学を学び研鑽する中で、その母の心理と私の心理がウリ二つの姿に見えて来ました。
 すると同時に、母も、父も、同じ一人の人間として感じられて来ました。私の父も、母も、一人の赤子として人生を始めて、人生の山と谷に浮き沈みしながら生きる一人の人間として見つめられるようになり、そして、何か切ないような愛おしいような、思いで迎え入れられるようになったのです。
 私は表面上は良い子の優等生を演じ乍ら、何処か深いところで父を恨み、母を拒絶し、人生を恨んでいたのが分かって来ました。いつも孤独で、希望もなく、不全感がありイライラしていた。それがどこからどうして起るのか分からず、苦しみの原因を、「権力」のせい、「父」のせいにして、八つ当たりして来たんだということが、分かって来ました。
 時折テレビや新聞等で、「普通の良い子」が、突然想像もつかない凶悪な事件を起こしたと、報道があります。そのような「普通の良い子」の気持ちのすさみが、痛みとして分かるようにもなりました。
 そして、「今は、父も母も愛おしい、自分は自分。自分の人生を大切に思う。弱くても良い、かっこわるくても良い、落ちこぼれでも良い、すべてが懐かしい。自分は自分、苦しみにも、病気にも深い意味がある、只一つの人生だ。大切に生きよう。」
 そのような気持ちを、高橋佳子先生のTL人間学との出会いの中で引き出していただきました。

 <「愛」という事>

 私は物心ついてから、どうしても、「愛」ということが分かりませんでした。その私が、人間はかけがえのない、オンリ−ワンの存在であることが、感じられるようになって、愛するということも実感を持って語れるようになりました。そして、孤独地獄から解放されました。
 人間は単なる肉体ではなく、「光り輝ける存在」であり、「人間がもち得るもっとも美しい心の一つが、誰かの事をこころから心配する思いである。」、その感性が今の社会に決定的に欠けている事であり、それがあれば、戦争も、凶悪な事件もなくなる、そう強く確信することとなりました。そしてそこで再び、私が医療の道を志した原点を、思いだす事となりました。

 成績と言う単一の価値観で、偏差値だけの世界で、ナンバーワンを目ざして、受験戦争突撃をくり返す中で完全に見失ってしまった、私の原点でした。
 同時に、学生時代の私は、肩凝り、便秘、胃潰瘍、頑固な頭痛に悩まされていましたが、それらの症状が総べてなくなりました。また、慢性的な食欲不振で、とてもスマートだったのですが、今は、体質も全然変わってしまいました。その体験を通して、内面の変革は、身体の自然治癒力をも引き出す事も、分かって来ました。

 そして、TL人間学を医療の場で実践し、病気を身体的に治すだけでなく、病気がその人の気持ちや、生活人生のプラスの転換点になるような、もし可能であれば魂新生の転換点となるような、深い癒しを目ざす医療実践を目ざしたい。そのような突き動かされるような強い衝動を感じるようになりました。
 勤務医時代、TL医療の対話療法を、重症のアトピーや、不登校、心身症、また、膠原病という患者さんとの出会いの中で実践して参りましたが、日に日に自分のクリニックで「小さくても本物」の医療実践をしたいという願いが強くなり、ついに、10年前の5月8日、今日このように、中央区唐人3丁目に開業する運びとなりました。

 これが、「あんなに医者を嫌っていたのに、どうして開業する事になったのか?」という答えであります。

 <新たな第2の開業宣言>

 あれから、もう10年の月日を数える事となりました。これまでの10年間は本当に多くの皆様方のお支えが合っての事と、感謝に耐えません。そして、日々恵まれてきます、患者さんとの出会いを通して、毎日が教えられる毎日でありました。
 そして、この10年間の歩みは、10年前志した願いをそのままに生き切れたかと自問致しますと、はなはだおぼつかなく、恥ずかしい歩みであったと、そう感じざるを得ません。

 10年の一区切りを迎え、これからも是非皆様のお役に立たせていただきたいと願い、今後のうめした内科の新たな第2の開業宣言の場とさせていただきたいと思います。
 宣言、
1、 うめした内科はTL人間学実践TL医療実践をすべてのよりどころとします。
2、 うめした内科は、何よりもかけがえのない患者さんの人生の尊厳、魂の尊厳を大切にします。
3、 うめした内科は、何よりも医療者自身の人間的成長の不断の努力を忘れません。
4、 うめした内科は、患者さん、そして患者さん御家族と医療者の絆と信頼関係と対話を大切にします。
5、 うめした内科は、病が治るだけでなく、患者さんにとってプラスの転換点になり深い癒しとなりゆくよう、ともに病の呼びかけに耳を傾けて参ります。
6、 うめした内科は上記の目的を達成するために、最新の医療の動向を取り入れ、関連医療機関との連係の元に、病の治療方法を日々改善し、その治癒に全力をつくします。」
以上を、うめした内科の10年目の宣言とさせていただきます。
 宜しく、お願い申し上げます。

 <シンポジストとのご紹介>

 本日は、TL医療実践、Tl人間学実践の先輩諸氏をお迎えし、私も皆様と御一緒に、その神髄を改めて学ばせていただきたいと、このように記念シンポジウムを持たせていただきました。

 最初のK先生は、「重度の心身障害児施設」という現場での実践を御報告して下さいます。私の父は聾唖学校の校長をしていた頃がありました。その父が、「御父兄の方々は、必ず一回は死ぬ事考えてるんだよ。」と語っていた事を思いだします。そのような中で、先生の御本にもありますように、「うまれてくれてありがとう」と言う気持ちが、奇跡としか言い様のない結果をもたらす事をお話下さいます。今、先生の外来は1年先まで予約が一杯だそうです。

 第2演題のN先生は、在宅医療の分野で御活躍の先生です。日本は世界でも類を見ないスピードで高齢化社会を迎えています。医療者であるないに関わらず、どのように人生の最後の時を、人間として、魂としての尊厳を失わずに生き抜くかという問題は、一人ひとりの個人の問題であり、そして、国の問題でもあり、医療の問題でもあります。先生の取り組みはその問題に大きな一石を投じるものであると思います。

 第3の演題のT先生は消化器内科の内視鏡の分野で御活躍の先生ですが、今回は先生御自身の、「末期癌からの生還」ということに関して、御発表頂きます。「今、末期癌と宣告されたら、私はどうするのだろう。私は、どうしたらいいのだろう。」と言う思いは、誰もがひそかに持っています。その断がい絶壁のような問いかけから、古賀先生が垣間見た人生魂の真実を、是非お聞き只来たいと思います。

 最後に座長を努めて下さるZ先生は東京で眼科のクリニックを開業されています。先生は漢方にも造詣が深く、日本漢方、中国漢方を更に深く探究されています。そして、眼の病気を眼にとどめる事なく、トータルに癒しておられます。本日はクリニックを休診していただいてお出で下さいました。

 それぞれに、御多忙な先生方に、是非とお頼みしておいで頂き、お話ししていただける事となりました。そうそう、何所でもきけるお話ではありません。是非、お楽しみ下さい。

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